今日はとにかく暑かった。
長野は今年初めての真夏日。
勉強も、いよいよ大詰めに向かい始めています。本番まであと2週間くらい。それが過ぎてしまえば、晴れて自由の身に。
はやくすべてが過ぎていってほしいと思う反面、中途半端なところで、後少しやってれば良かった。と思うような結果にはなってほしくないとも思うのです。
晴れて自由の身になった時に、どんな気持ちを抱きたいのか。
残酷なことに、きっとそれだけが今の勉強の原動力なのかもしれない。
ほんとは、先生になった自分の姿を思い浮かべながら、やるべきことに打ち込むことが理想的なのかもしれないけれど、そんな現実感はあまり無くて。
話は変わるが、沖縄の慰霊の日の前日にやっていたNHKの特集番組、「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷島 ~」は、どうしようもない、これはどうしようもないと、テレビを見ながら放心状態になった。
「1945年、太平洋戦争末期の沖縄で集団自決にかかわった、ある兄弟の苦悩を伝える。64年前の沖縄戦では、家族が互いに命を奪い合う集団自決が各地で起きた。渡嘉敷島では、300人以上が犠牲になった。当時、家族を手にかけてしまった兄弟の証言を紹介。戦後、兄弟は別々の道に進み、ほとんど会うことはなかった。兄は島にとどまって家を守り、弟は島を離れてキリスト教の牧師となった。なぜ家族を手にかけなければならなかったのかと苦悩し続けてきた兄弟の心の軌跡をたどる。」(NHKより抜粋)というような内容。
言葉には表せないほどのやりきれなくて、無様で、悲惨で、救いようの無い歴史とはこのことだと。
自らの手で家族を殺めること。ともに家族を殺めた弟とは、顔を合わせるとそのときの記憶が過ってしまうから、それ以来ほとんど顔を合わせずにいたという。
ようやく兄弟が顔を合わせた頃には、兄の認知症が進行していて那覇の施設に入っていたこと。言葉は交わせなかった。
その兄は、慰霊の日に「今日は慰霊の日ですね。私はあのときの出来事を一生忘れられないし、一生悔やまれることをしたのです」と遠くを見つめながら語ること。
僕は、軽率にも認知症が進行することで、ある意味では救いになるのかもしれないと思ったが、その言葉ですべてが打ち砕かれて、記憶を消し去ることはできないのだと、絶望に陥れられた。
とにかく知らなければならない沖縄の歴史を、知らない人が多すぎる。
過去の歴史じゃない、今もその悲しすぎる出来事は沖縄の人々の心をのみ込んで、うごめいている。
男性は語った。自分の家族に手にかけた時のことを「なんとも言いようが無いですよ」と。