名古屋、静岡とまわったので、半分くらいは旅行気分でしたが、実習先の発電所では「エネルギー問題」というこの先切っても切り離すことのできない問題について考えて、悲観し、うなだれるような気持ちになる一方、発電に関して(特に原子力発電所については)様々な誤解が現場を知ることで解かれていき、見方がすこし自分の中で変化したように思います。
これからは、原発について少し思ったことを書きたいと思います。
今の気持ちは、どの情報を信じるべきか分からない、ということです。
今回の授業の主催は中部電力で、中部電力の広報の方、発電所の方からたくさんのお話をされました。
そこでお話しされたことは、原子力発電所及び再処理施設については、放射能は日常の生活で浴びるほどの微量しか原子力発電所では放出されておらず、それは365日環境モニターによって監視されているということ。原子爆弾と原子力発電の核分裂のメカニズムは全く違っていて、原子爆弾のように一気に爆発することはないということ。原子力をリサイクルし、プルサーマル燃料を用いることによって、自国でのエネルギーが確保できるということ(現在は日本のエネルギー自給率は4%)など、他にもたくさん。
しかし、一方で再処理施設、原発を反対している人たちから発せられる情報は、それとは違っていて、以前ぼくの行っている美容室で読んでみて、と渡された6paperというフリーペーパーには、六ヶ所村の再処理施設について、海や空に原発1年分の放射能を1日で放出するだとか、再処理施設でつくられるプルトニウムは、1年間で長崎の原爆の1000発分に相当するだとか、地層処分は100万年も保管されるだとか心配すぎるトピックが書かれてありました。
そう、それぞれが、それぞれに同じトピックを「全く勘違い」のもとで書かれていることのようなのです。
どっちが真実か、僕には分かりません。もしかしたら、原発反対側に僕の気持ちが偏っているかもしれません。ですが、本当のことが共通して語られている上で問題をぶつけている訳では決して無いというのは、非常に不健全であり、電力会社側、それを反対する側、お互い見失っているものがあるのではないか、と思わずにはいられませんでした。このままではきっといつまでも理解はし合えないだろうし、一方通行だけの議論になってしまうだろうから。
現場を見てきた感覚からいえば、あれだけ巨大な発電所が無くなることは決して訪れないだろうなってこと。そして、厳重なセキュリティ、これでもかと言うほど厳重な安全管理、そして人間が直に触れられない原子力発電という人工の技術に僕らは頼り、生活しているという違和感でした。地下に放射能のゴミを埋めるというのも、一般的な感覚からはかけ離れている気がしてなりません。
答えがどこにあるのかは正直ないと思います。
しかし、安全である保証もどこにも無いと思います。
原子力発電という技術がいまも無かったとしたら、現在それが3割を占めている僕らの生活はどうなっているのだろう?
僕はパソコンに向かい、電気を付けて、音楽を聴いています。
イラク戦争によって石油の価格は高騰しました。
今思えば、きっとそのときの原子力発電はぼくらの生活を助けてくれたのでしょう。
正しい知識、これこそが、やっぱり理解の一歩なんだと思います。
写真は碧南火力発電所。

発電所外景。ばかでかい。その前の緑地公園では家族連れの憩いの場としてにぎわっていた。

タービン建屋。発電所には全部で5機ある。中は38度という蒸し風呂状態。見学したタービンは700,000kWという膨大な電力を起こす(1〜3号機)。4,5号機はさらに大きな1,000,000kWの電力を起こす。ちなみにはじめに見学した里島水力発電所は最高で3,500kW。

煙突。空気に排出される前に窒素酸化物、硫黄酸化物、ばいじんが除去される装置を通り、最後にばい煙測定装置で計測され、安全が確認されている状態で外に排出される。具体的な値や管理については説明が無かった。

